建学の精神 「 順天求合 」 自然の摂理にしたがって真理を探求する
学園の沿革 〜 創立190周年の伝統 〜
本学園は1834年(天保5年)、大阪の南本町に創立された「順天堂塾」に始まります。創立者の福田理軒先生は、和算・窮理の専門家として研究や教育に努めながら、西洋数学も紹介する多くの書物を執筆しています。さらには黒船を測量するなど、測量学や天文暦などの実学的な分野でも貢献しています。明治期になるとすぐに、文部省による改暦や鉄道敷設の測量にも協力することとなり、東京の神田に「順天求合社」を設置して、近代学校としての歩みを始めました。
その後、順天求合社の卒業生でもあった松見文平校長が後継者となり、旧制中学校の男子校として発展します。しかし火災や震災、戦災などにより、幾度も校舎を再建する歴史を刻みました。戦後は暫くして、弁護士・実業家でもあった渡辺酉蔵氏が理事長となり、当初は新制の女子高等学校として、東京都北区に王子キャンパスを再興。さらにグランドや体育施設などのある新田キャンパスを新設して、男女共学・中高一貫校となり、創立の時からすでに190周年を迎えています。
ドラマ「福田理軒」(下の画像をクリックすると再生ページにアクセスします)
福田理軒について調査研究をしていた、丸山健夫氏(当時・武庫川女子大情報メディア学科教授)が自ら主演して、本校の演劇部の生徒と共に福田理軒先生を紹介しています。5カ国語(翻訳)に対応した動画でご覧になれます。
5(1834)福田理軒が、「順天堂塾」を大阪に創立する。
4(1871)東京の神田仲猿楽町に移転して、「順天求合社」と改称する。
17(1884)松見文平が、「尋常中学順天求合社」を設置する。
32(1899)中学校令(旧制)により、「順天求合社中学校」となる。
33(1900)「順天中学校」に改称する。
2(1913)神田の大火災で校舎を全焼し、再建する。
12(1923)関東大震災で校舎を全焼し、再建する。
3(1928)神田三崎町に移転して、校舎を新設する。
20(1945)東京大空襲で校舎を焼失する。
23(1948)学制改革により、「順天高等学校・順天中学校」となる。
28(1953)北区王子本町に移転する。
37(1962)渡辺酉蔵が、順天高等学校を女子校として再興する。
60(1985)新田キャンパスにグランド、体育館、研修館などを新設する。
2(1990)順天高等学校は男女共学となる。
7(1995)順天中学校を併設して、中高一貫校となる。
17(2005)王子キャンパスに本館新校舎が完成する。
26(2014)文部科学省よりスーパーグローバルハイスクールに指定される。
29(2017)理軒館を新設して、ラーニングコモンズなどを整備する。
5(2023)創立190年史を発刊して、記念式典を挙行する。
8(2026)「北里大学附属順天中学校・高等学校」となる。(予定)