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78.夜間順天中等学校

 

 大正十四年九月、私立学校の設立認可を受けて『順天中等学校』は設立された。

 順天中等学校とは、順天中学校と同時に存在したもう一つの学校である。夜間に中学課程程度を教授する『順天中等学校』は、いわゆる中学校とは異なり、予備校的な性格を持っていた。

 大正六年の順天求合社廃止以後、同居していた東京商工学校の生徒数の増加により、夜間には順天中学校舎全部を貸す様な状況となっていた。しかし、関東大震災以後校舎を再建し、東京商業学校に校舎の一部を賃貸したが、二階部分については使用されず空いていた。

 大正期は中学校に入学を希望する者が急増し、中学校も多く設立されるようになっていった。大正六年には全国の中学校が三二九校だったものが、大正十五年には五一八校と増加し、更に生徒総数に於いては一四七、四六七名から三一六、七五九名とおよそ十年で二倍を超えるほど急増していった。

 この様に大正期後半は学校数の増加が、生徒数の増加に追いつかず、この傾向は、特に都心に於いて顕著であり、地方の学校と都会の学校との地域格差を生んだ。

 就学人口の増加及び中学校進学率の上昇に伴う競争の激化により、『順天中等学校』の様な夜間補習学校の必要性が高まっていた。

 また、各中学校の各学年には常に欠員が生じるが、編入試験を実施する学校も多く、『順天中等学校』は、中学校編入の為の実力養成機関の側面も担った。

 この様な背景により、『順天中等学校』は、教室の空いている時間帯を利用して夜間学校の経営を行ったものであった。設立年度である大正十四年の『順天中等学校』の予算書では、生徒数六十名で予算立てされていた。しかし、その後の生徒数については残念ながら不明であるが、最盛期には各学年二クラスづつ有ったと言われている。

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