58.順天求合社 「正科、別科の廃止」
順天求合社の正科は、伝統ある数学測量を専門とする学科であり、明治三十一年には三学年で百八十七名が在籍し、平均年齢は十八歳であった。また、別科は、東京工業学校予備科として明治二十年二月に設置され、同三十一年九月には第十二期生が入学し、四学年で合計三百三十一名もの生徒が在籍し、四年生の平均年齢は二十一歳であった。正科と別科を合わせると、合計五百十八名の在籍数で、更にこの年度の尋常中学順天求合社の在籍数は、学事統計によると二百四十二名であるから、実に七百六十名もの生徒が在席していた事になる。 正科・別科ともに上級学校進学の為の実力を養う事と、資格試験取得を目的としていた。当時は、正科、別科や尋常中学校の正規の教育課程を終了しなくても、卒業の実力を有するかを試す試験によって判断され、上級学校への進学を達成出来る事が最大の魅力であった。 順天求合社別科の成立背景には、当時東京でも尋常中学が少なく、教育内容もまだ確立していなかった事から、東京工業学校に入学する学生の質の向上を図る為、順天求合社や東京物理学校(現在の東京理科大学)に東京工業学校予備科を設置した。 その後、明治三十二年二月に出された中学校令によって、やがて順天求合社正科と別科が存続しえない状態が作り出されて行った。学校制度の整備によって、東京工業学校でも明治三十二年六月に規則を改正することになり、東京工業学校の入学者を中学卒業者に限定してしまった。このため、順天求合社別科も、この時点で存在理由が無くなってしまったのである。 順天求合社では受験科を昼の部とし、正科と別科の移行措置として明治三十二、三十三年度と授業を継続したが、明治三十四年からは昼の部として、順天中学校に全てを吸収させる事になったのである。
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