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47.順天求合社の諸学科 別科

 

 別科は以前43号で述べたが、明治二十一年二月に設立され、順天求合社内部で官立東京工業学校(現東京工業大学)予備科又は受験科と称していた。これ以後、別科は明治三十三年までの十三年間に渡って多くの生徒を抱え、順天求合社を支える重要な学科の一つであった。

 順天求合社では、官立東京工業学校に入学の為の受験指導をしていたということで、この別科は大変な人気となり、その他の学科には、主に夜間部として一年以内の速成をもって教育する別の二学科があった。一つは測量専修科、もう一つは数学速成科である。

 先ず測量専修科は、明治二十三年三月に測量部を置いた事に始まり、修業年限は六カ月と定められている。この学科は江戸時代以来の順天の伝統的な学科である。明治二十五年二月十二日の新聞広告に、順天求合社測量部によって測量及び製図の依頼を受ける広告を載せている。測量専修科は測量部の下に置かれた学科である。

 数学速成科は順天求合社中で最も短期間で終了出来る学科として置かれ、修業年限は四カ月を以て終了させており、短期集中型の学科であった。数学速成科は明治二十六年に設置され、官立諸学校受験等を目的としていた。数学力増進の補習学校的な面が強く、そのため、他の学科よりも多くの生徒を抱える結果となっていた。この数学速成科は、昭和十三年の同窓名簿により、明治三十二年度一年の速成科卒業生を数えると、何と三百三十三人もの同窓生がいた。どうやらこの年が最盛期であったようである。

 明治二十一年より別科を設置した事によって生徒数が急激に増加した為、もともと教室数に限りがあった順天求合社では、夜間部に二つの学科を設けて教室の多面的利用を図ったのである。

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