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46.順天求合社の諸学科 正科

 

 明治の中頃になると初等教育の充実には目を見張るものがあるが、その分中等教育以上の普及にはまだ多くの時間を必要としていた。

 順天求合社の正科について各年度の学科課程を抜粋して見ると次の様になる。

 「明治十七年学科」
  初等課一年
  中等課二年
  高等課二年
  五年の修業年限
  年授業日数二百八十日
  一日二時間程度の授業
 「明治二十年学科」
  尋常科二年
  高等科一年半
  三年半の修業年限
  年授業日数二百八十日
  一日二時間程度の授業
 「明治二十九年学科」
  尋常科一年半
  高等科一年
  合計二年半の修業年限
  一日二〜三時間の授業

 修行年限が段々と短縮されている。明治十年代前半では修業年限が六年もあった事を考えると、明治二十九年の規制改正と比較すれば、半分以下の修業年限となってしまっている。順天求合社の正科の目的は『官私諸学校数学教師及ヒ諸官省、諸会社等の技師并ニ尋常師範学校・尋常中学・高等女学校教員検定試験志願者ニ適切ノ教授ヲ為ス』ことを目的としていた。

 明治二十二年二月二十日の読売新聞に生徒募集広告が掲載されている。それを見ると、順天求合社正科尋常科の第四級生生徒募集二百名中、五十名は女子生徒を募集している。しかし明治二十三年より女子生徒の募集をした形跡はない。東京府統計によって本校の各年度の在籍数はかなり正確に知ることが出来るが、女子生徒が学んでいたのは統計で知られる限り、明治十七年の女子生徒五名が最後である。明治十八から明治二十年の統計には順天求合社の校名が記載されておらず、知ることが出来ない。明治二十一年以降の各年度の統計では、女子生徒の欄が全て空欄となっている。この頃に男女別学の徹底が計られ、創立以来男女の別無く生徒に学問を教授していた順天求合社も、ここで男子中心の学校になって行った。尚、この時代はまだ九月入学であった。

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