05.算額(数学の絵馬)
江戸時代における日本の数学教育は、世界的に見ても非常に高い水準に位置しており、しかも武士、町人、農民までもが大変熱心に数学を学んだという点で、他国にその類例を見ない普及の度合いであった。 その数学教育の普及の現れとして、当時、研究結果を算額にして神社や仏閣に掲げ、世間に発表することが盛んに行なわれた。算額とは、いわば数学における絵馬に相当するものであり、和算家が自分の解いた数学の問題を神仏に捧げ感謝するとともに、他の和算家に見てもらうという意味を持っていたのである。現存する最古の算額は、天和三年(一六八三)栃木県佐野市星官神社のもので、これ以後百年間に現存する算額は全国で十面あるが、これらは当時掲げられた物のほんの一部に過ぎない。 算額の奉納には次のような目的があった。
数学は極めて哲学的な内容を持っており、また神社仏閣が神秘的であり、かつ公共の施設として利用されていたので、それぞれの目的で算額が掲げられたのであった。 順天堂塾では、この算額をまとめた数学の問題集とも言うべき書物を出版している。それが「順天堂算譜」である。この書は、順天堂塾(福田派の門人も含む)の門人達や、遠近の名家によって諸国の神社仏閣に奉献された算額をまとめたもので、弘化四年(一八四七)に出版された。 このように算額が持っていた公開問題的な性格を、「順天堂算譜」と言う問題集を出版する事によって、数学の普及に貢献するのと同時に、順天堂塾の実力と教育水準の高さを他に示すことになったのであった。 |
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