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02.寺子屋の隆盛

 

 江戸時代の教育機関として、武士階級には幕府直轄の官学校と諸藩の設立するところの藩校とがあり、庶民の教育機関としては寺子屋や私塾があった。更にそれらの中間的な教育機関として、庶士ともに教育する郷学校があった。

 江戸時代の庶民の教育機関として最も代表的なものは、何と言っても寺小屋である。当時、藩校の中には普通教育部分を寺子屋に任せるものもあったことから判るように、寺子屋は教育機関としても大変重要な地位を確立していた。

 また当時の教育の普及度合いは、江戸で既に識字率実に五十%に達していたようで、他国に類例を見ない教育の普及状況であった。

 寺子屋が初等普通教育を担当するのに対して、私塾は高等普通教育を担当した。私塾の多くは漢学塾で、吉田松陰の松下村塾や伊藤仁斉の堀川学校などが有名であるが、本校のような和算塾から、近隣校であった緒方洪庵の適塾のような蘭学塾まで、実に様々な分野にまで及んでいた。

 前号で触れたが、江戸時代の大阪は、商業都市として栄え、その特殊な地理的環境とその経済的基盤をもとに学問をよく愛好する気風が生まれた。やがて福田理軒によって、順天堂塾も和算塾として呱々の声をあげたのである。天保五年(一八三四)八月二十六日、理軒十九歳の時であった。

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