87.まとめA 五十二年ぶりの卒業式 平成二年に共学校となった順天高等学校は、更に平成七年四月には順天中学校を再開した。 これは昭和二十九年三月に設置基準の問題から止む無く廃止させられたものを、ここに復活させたのである。それに伴って、校舎を新築する必要に迫られ、本館横に敷地を確保し、講堂と普通教室を備えた六号館を建築した。 順天中学校開校を聞きつけた旧制順天中学校卒業生の中から、昭和二十年三月卒業生が太平洋戦争による校舎消失で卒業式が出来なかったので、順天中学校の開校と六号館講堂の完成を機に卒業式を行って欲しいとの要望があり、講堂の柿落しとして、五十二年ぶりに卒業式を実施する運びとなった。 このニュースは「五十二年ぶりの卒業式」と題され読売新聞等に掲載された。 平成九年三月二十二日、卒業式は挙行され、出席した卒業生は旧制順天中学校二十四名、順天商業学校十五名であった。 この卒業式には大正期の卒業生や昭和初期の卒業生達も駆けつけ、現順天中学校在校生に見守られながら厳粛に行われた。故村山壽男校長が、当時の松見博正校長に成り代わり、生徒一人一人に直接手渡した。卒業生も戦前の教育によって、直立不動の姿勢ではきはきした大きな返事をし、更に校歌などは歌詞も間違わずに大きな声で歌い上げた。逆に現役中学生達の方が、皆緊張した面持ちでこの厳粛な卒業式に参加していた。 式が行われた講堂には、シンボルとして円形の窓が取り付けられている。これは81号で紹介した「百周年記念館」の丸窓である。この丸窓だけは、五十二年前に神田校舎の講堂に使用されていたものであり、焼け残っていたものを六号館竣工の際に移設したのである。形態は全く当時のままで、卒業生達はこの丸窓を見て、半世紀を経過した現在でも懐かしく思い出を語っていた。
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