50.順天求合社の学科@ 順天求合社の諸学科については以前に述べたが、時代は急速に流れ、それに伴って学科内容にも変化が生ずる事になった。時代に即応した短期速成の諸学科として、支那語速成科・測量専修科・陸軍受験科を新たに誕生させたのである。 これら諸学科が成立する時代背景として、明治二十七、八年の日清戦争が上げられる。日清戦争に至る過程には、明治維新以来の対朝鮮関係があった。その頃、日本は欧米列強の東アジア進出に強い危機感を持っていた。特に朝鮮半島がロシアの勢力下に落ちると、日本の独立国家としての立場は大変な危機に直面する。 この様な国際情勢の中で日本は自国が主導権を握った朝鮮半島を独立させ、その上で欧米列強と対抗しようと考えていた。しかし、今度は朝鮮に宗主権を主張する清国との間に対立が深まってしまった。この様に日清戦争に至る主要原因は日本と清国間の政治的軍事的な対立からであった。 清国は、歴史と文化を持っている大国である。それ故に戦争中より日本国内では中国語の必要性を感じ、幾つかの学校で支那語(中国語)の速成科が設置されていた。順天求合社に於いてもこの社会的要望に答えるべく、支那語速成科を設置する事になった。 資料の新聞広告が読み取りにくいので、本文を見てみると。 「本社支那語学速成科第一期生卒業に付更に第二期生五十名を募集す志願者は本月中に申し込むべし、但五月一日より始業す」 当時の学籍簿は現存していないので、その詳細は不明であるが、この広告によって少なくとも二期生までは支那語速成科の生徒がいた事になる。 明治期の日本には英語を中心として欧州諸語を教授する学校もあったが、アジアの言語である中国語や韓国語の学校も幾つか存在した。最近になってアジア語の地位は向上し、盛んに学習される様になったが、明治期にもそのブームが起っていた。しかし、流行とは将に一時的なものであって、長続きする筈もなく、支那語速成科は順天求合社では開塾以来の異色学科として、短期間の運命に終った学科であった。 |
前ページ | 次ページ |