30.福田治軒の著書@「代微積拾級訳解」 理軒はその生涯に五十冊以上の本を執筆しているが、これは生きた時代背景と長命によるものであり、現在までも名著として知られる書も多い。しかし、息子治軒に於いては、生涯に十数冊の著書を残しているのみで、父理軒と比較すると少ない。これは治軒の活動年数と時代背景に因るものであり、幕末から維新にかけて、伝統的な学問だけでは通用しない時代が到来し、外国語の習得や欧州の学問研究に時間がかかったからである。 治軒の著書を年代順に見ると、明治二年に理軒と共に二十歳の時「西海新訳」を著したのを手初めとして、同五年には「代微積拾級訳解」と「測量新式」を著し、同七年には「測量必携」(全備航海書)を翌八年には「洋算例題続編」を著している。これ以後の著書は官職に就き多忙を極めたので、明治十一年に陸軍省を退職してから執筆している。 洋算の輸入期には、日本より早く洋学が流入していた清国(中国)の訳本を使用する事が多かった。それは明治に至った日本に於いても、直接欧州人に就いて洋算を学んだ者以外は、原書の訳本が完全に行われていない為、書物からの学習は専ら隣国である清の訳本に頼らなければならなかったからである。これを日本流に克服するのは、明治十年代半ばまで待たなければならなかった。 この例に洩れず「代微積拾級訳解」も上海訳本と、英語の原書、更には東京数学会社の発起人である洋学者神田孝平の訳稿を参考として、イングランドから学んだ英語を駆使し、治軒が訳しまとめ上げたものである。 治軒は後に、この書の代数・微分・積分の実績により、明治十三年に「筆算微積入門」を執筆しているが、これは解析幾何及び微分積分についての我が国最初の刊本であった点は特筆すべき事である。 |
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