トップページへもどる

11.西算速知A

 

 「西算速知」は、最も初歩的な数学書であり、アラビア数字は既に知られていたものの、敢て漢数字を使用したり、普通の計算記号も使用していない事をもって数学史家は、「全然古い和算の型を脱しえない」或いは、「半洋算」などと非難した。

 しかし明治四年の福田理軒の著書「筆算通書入門」という当時九万部売れベストセラーとなった書の巻一の凡例に、順天堂塾の門弟花井静は次の様に述べている。

 『曩に家大人西算速知の著あり、其書たるや数字に於いても皆国字を以て筆書す。是即ち筆算の技を皇邦の術に化し知しめんことを欲すれなり、且つ今を距ること二十年前に在て、未だ洋籍の禁ありて、専らに洋字を用ゆるを得ざればなり』

 「西算速知」の出版された安政四年には、まだ「洋籍の禁」の名残が有ったので、洋字を敢えてその本に使用しなかったのであった。当時には依然として時代的な制約が有ったからである。

 「西算速知」と同じ年に江戸では柳河春三(一八三二〜一八七〇)が「洋算用法」と言う書を出した。これは西算速知の次に西洋数学を紹介したもので、オランダ系の洋書紹介を解説し、記号や説明に於いてもほとんど現代に近いものであったと言われる。柳河春三は、和算家でも洋算家でもない洋学者であった。只数学を好んだという人物であった。柳河春三の「洋算用法」と福田理軒の「西算速知」を比較して、「西算速知」を先の様な「半洋算」などと言ったのであろうが、どちらもその優劣を計るべきものではない。

 奇しくも安政四年に日本の東と西に於いて同時に、一方は熟達した和算家、もう一方は非専門の洋学者によって、西洋数学を紹介する書が出版された事は注目に値するであろう。学問に於いても新知識が多く流入し、日本の近代化の下準備が開始され、やがて維新を迎えるのである。

160-11.jpg (193336 バイト)

                                                                                                                                          
前ページ 次ページ