07.順天堂塾の授則
江戸時代における順天堂塾では、1号で触れたが和算をその中心教科としていた。それ以外に天文学、暦学、測量学、究理学、陰陽道も教授しており、教科内容も非常に広範囲にわたっていた。 江戸時代の教育課程とも言うべき「理軒先生授例」が残っている。この授例の年代は不明であるが、恐らく幕末頃のものであろうと推定される。 初伝目録、中伝目録、算道皆伝免許に分類された授例には、師範免許、諸伝書皆授、観星から暦法まで有る。これらの科目を履修した後、御家、即ち土御門家に入門しなければ学習出来ない科目まで有った。 この授例の最後の三行は「匹」では無く「面語」で記されている。面語とは恐らく師匠から直接伝授されるところの、口伝に相当するものだろう。ところで、授例中の「匹」であるが、この授例の製作年代が不明なので正確な単価について知ることは出来ないが、これは本来織物の単価であると同時に金銭の単価でもあった。一匹は十文であったが、後に百匹を二十五銭としたと言われる。これによると、授例の最初に出ている「開平開立」の二百匹は、五十銭となり、最も高い「求合秘書」の二万匹は五十円となり、大変な授業料が必要であった。 当時の物価について米価をもって考えると、開塾の天保五年(一八三四)では、米一俵三十銭であり、万延元年(一八六〇)には七十九銭、維新前の慶応年間には、一円五十銭前後にまで高騰していた。なんと、約三十年間に五倍にも跳ね上がっている。従来鎖国中の経済事情は、極めて緩慢な変化であったが、欧米列強の開国要求の中で、幕末の変化の激しさを物語っている。
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