お知らせ

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SGH 2年生 東京大学大学院 木村秀雄先生の特別授業
- 2年生のSGH活動は、各自の課題研究の研究論文の執筆が大詰めに入っている状態です。ここで改めて、1年生の最初から今まで1年半余りのSGH活動を振り返り、活動の意味、論文を書くことの意味、それを将来にどうつなげていくかということについて、特別授業をしていただきました。授業を担当してくださるのは東京大学大学院総合文化研究科教授の木村秀雄先生です。木村先生は、先週のSGHフィールドワーク報告会、ワークショップを見学してくださり、生徒の現状を理解されたうえで、今彼らに必要とされるトピックを選んでくださいました。
淡々とした語り口の授業でしたが、大変充実した内容でした。生徒が成長したと感じられた場面は、内容が濃いことに生徒が直ちに気づき、必死にノートを取り出したことです。授業終了後提出してもらった授業記録はどれも充実したものでしたので、今回の報告は、生徒のノートを下敷きにして執筆しようと思います。
グローバルとは何か。それは決して、日本から世界に飛び出して行って、海外で日本の国益のために奮闘することではない。それは日本と世界の垣根がなくなることだ、というお話から始まりました。
貧困とは何か。木村先生は生徒に質問します。「お金がないことです。」「それではお金があっても心が貧困であるという人はいないのか?」「いえ、そんなことないです。」ここで木村先生は、「研究をするということは、自分の立てた説にこだわって、簡単にそうじゃないなどと言わないところから始まるのです。そのことを説得するために『道具』が必要です。」と諭します。「それでは心が貧しいということはないのか?」「それは貧困とは違います。」早速頑張ってみる生徒でした。
木村先生は、先週の生徒たちの発表で、「自分たちも何かできるのではないか」という終わり方が多かったのを気にされていました。「自分たちがどれだけ役に立たないか、気合ややる気ではどうにもならないことがいかに多いか、ということを実感する必要がある。そして、少しでも役に立つようになるために『道具』が必要なのです。」
フィリピンでの討論会で取り上げた「なぜ学校に行くのか」という理由の違いにも触れてくださいました。「就学率や卒業率が低い国では、学校に行くことが成功するための武器になります。一方、日本のようにほぼすべての人が高校に行く国では、高校に行ったって、ちっとも武器になりません。零れ落ちなければいいという考えになってしまうのです。」
その上で、「他人がすべてを分かり合うというのは難しいことです。臭いをかがせたり、歌を聞かせたり、いろいろな伝達手段はあるかもしれません。論文というのもその手段の一つです。みんなが理解できるように『道具』を使って論理を組み立てます。その『道具』が法学や経済学、文化人類学のような学問なのです。」と論文と学びの意味をかみ砕いて教えてくださいました。
授業は、生徒と対話しながらゆっくり進みました。
生徒Sの感想より「これからどうやって論文を書こうかと悩んでいたところでしたが、何のために論文を書くのか、どうやって書くのか、何を書くべきなのかについて、たくさんヒントが戴けたので、頑張って論文を書こうと思います。」