お知らせ
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SGH第1回フィリピンフィールドワーク報告(1)
9月28日、文化祭の翌日の早朝、SGHの生徒12名は羽田空港国際ターミナルに集合しました。8日間のフィリピンフィールドワークに出発します。ワゴンでの移動のため、荷物はバックパックやボストンバッグに制限されています。
到着後、初日の夜、夕食からの帰り道、物乞いの少年に出会いました。マニラに物乞いがいることはみんな承知していました。昨年のワークショップでは、物乞いに小銭を渡すべきかどうかという題で議論もしました。しかし実際に出会ってみるとどうしたらよいかわかりません。同行のCFF職員石井丈士さんが少年ににこやかに話しかけ、しばらく会話を続けてからバナナを一本渡す様子は、生徒たちの心に深く残ったようです。(石井氏は「これからちゃんと学校に通って仕事を見つけて働きなさい。それでもまだ困っていたら、また来てね。」と言ってバナナを渡したそうです。)
コンビニでのタケシ(石井丈士氏のこと)の物乞いの少年への対応は感動したし、私もそんな人になれたらいいと思ったけれど、ホテルに帰るまでの短い時間で、子どもだけで物乞いする子たちや、子どもを抱っこしながら物乞いをするお母さんなどに衝撃を受けました。正解はないとはいうけど、私たちはいったい何をしたらいいのだろう。(参加生徒Tの感想より)
翌日はまず、マニラのイントラムロス(城壁の中)地区に向かいます。この地区はスペインの影響が残る地区で、マニラ大聖堂(左)や、世界遺産のサン・アウグスチン教会(右)があります。
マニラ大聖堂は人でにぎわっていて、スペインが残したキリスト教がフィリピンに深く根付いていることをうかがわせます。
マニラを発った一行はパンガシナン州ダグーパン市を目指します。途中で日本とフィリピンの歴史的関係を示す一連の場所を訪れます。
1944年に初めて特攻隊が出撃した飛行場跡があります。日本人ではなく、現地の観光局が記念碑を建立しています。
(この特攻隊の記念碑は、順天学園ともゆかりがあります。校長ブログをご覧ください。)
次に訪れたのはバターン死の行進記念碑。同行者のCFF職員マオリンさん(写真左端:マオ姉さんというフィリピン語で「アテマオ」と呼ばれています。)はおじい様が戦時中日本軍の暴行を受けた話を生徒たちに話してくださいました。日本とフィリピンには決して単純ではない歴史的結びつきがあったことを実感したことでしょう。
バターン死の行進の終着地、オドネル収容所を訪ねます。兵隊150名が詰め込まれたという貨車の前での説明です。
ダグーパン市に到着後、夕食。夕食会場でこの二日間の振り返りをしました。
2日目は戦争に関することをたくさん聞きました。その中には目をそらしたくなるようなことがたくさんありました。スペインにも、アメリカにも今につながる大切なことを残してきたにも関わらず、日本は何も残せなかったということがとても悲しかったです。知りたくないこともちゃんと向き合わなければいけないと思いました。(参加生徒Iの感想より)